鉄旅を愛する家族の ちょっぴりハードな旅のキロクをバンコクから
 

 

 
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ということで、残念な結果となってしまいました。

先日、胎動を感じなくて病院にいっ​たら、ベイビは静かに息をひきとっていました。
私は前置胎盤だったので、出血が懸念されましたが
陣痛を起こし、母体は無事にベイビを産んであげることができました。

今週の月曜日に退院し、その日がちょうどムスコの8才のお誕生日だったので
いつものようにSLのケーキをつくり、ちゃんとお祝いすることができました。
私の体の方は出血もなく徐々に回復していますので、どうかご安心ください。


以下、ちょっとの間しか一緒に過ごせなかったベイビとの最後の時間を
少しでも記憶に残したくて書いた文章です。

驚くほど長文ですし、不快に思われる内容もあるかもしれません。
続きはご了承の上、お読みくださるようお願いいたします。


 

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●病院に行くまで

最近、胎動が静かだなと思っていました。
蹴ったりする激しい動きがなく、もにょと動く感じで
きっと、おとなしい女の子なんだろうなと思っていました。
胎盤の位置が低かったり逆子だと胎動を感じにくいと耳にしたことがあったので
この子もそうなのかなと思っていました。

そんなある日、ふと、本当におとなしすぎると不安になり、病院に行きました。
今おもえば、この時からすでにベイビの死は分かっていた気がします。
身体の中で、お腹だけが妙に冷たかったのを覚えています。

いつもはタイ語の先生と一緒に行っていた病院ですが、
英語もタイ語も満足に話せない私がひとりでいったことに、病院側も動揺していました。
でも、とりあえず、ベイビの心臓が動いているのをみて安心しましょうということで
超音波をしてもらったのですが、一瞬にして場の空気が変わったのは伝わりました。
私にもベイビの心臓が動いているようにはみえませんでした。
ベイビの心音ももちろん聞こえませんでした。

心臓がもうとまっているのか、少しでも動いているのかきいてみたけれど
ハッキリした返事はもらえなかったように思います。
私とでは詳しい話ができないと思った先生は、タイ語の先生に連絡をとるようにいいました。
でも、彼女はその日は仕事だったので、タイ語が話せる日本人の友達に電話をしました。

最近、変なモノを食べなかったか。
重い物をもったりしていないか。
走ったり転んだりしていないか。

そんなことを聞かれたようですが、心当たりはありませんでした。
すぐに紹介状を用意され、大きい病院に行くようにいわれました。
せめてそこでは日本語で話したいと思い、
妊娠が分かった時に最初に訪れた、でも検診と出産費用のあまりの高さに驚いて尻込みした
当初の病院にしてもらいました。

一度帰宅し、家にあったタイバーツ紙幣をかき集め、
このまま入院しても大丈夫なように、関係者にその旨を連絡し、
友達にコドモ達のことを頼みました。

仕事が終わったタイ語の先生がかけつけてきてくれました。
病院は予約でいっぱいでしたが、すぐに診てもらうことができました。
「赤ちゃんの心臓はとまっています」と静かに宣告されました。

今回は、前置胎盤だったこともあり、私の最悪のシナリオは
出血があってベイビと母体両方助からなかったりしたりしないよね​…
なぁんて、出血の心配ばかりしていたのですが
出血することもなく、お腹が特にはることもなく、本当に静かな最後でした。
母親なのにちっとも気づいてあげられなかった自分の鈍感さ。
ベイビに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

その後、一旦帰宅。夕方に再度来院し、詳しくみてもらうことになりました。
友達もかけつけてくれ、コドモ達が学校から帰るのをまって、みんなで病院にいきました。

そして、みんなでモニタを見ました。
やっぱり心臓は動いていませんでした。
「赤ちゃん死んじゃったの?」
コドモ達にもはっきりと分かったようでした。



●出産の方法について

それから、先生と私だけで出産方法について考えることになりました。
私の前置胎盤は、全前置胎盤(子宮口を胎盤が完全に覆っている)ではなく
この位置ならなんとか普通に分娩もできるだろうということでした。
ただ、出血の可能性もあるので、その時は緊急帝王切開を覚悟してくださいとのことでした。
計画的に帝王切開を選べば、手術は多分スムーズですが、
産後の回復に時間がかかるということでした。

どちらを選んでよいのか、すぐには選べませんでした。
コドモ達を残して、私は絶対に死ねないと思いました。
出血の可能性を考えたら、計画的な帝王切開の方が安全かもしれないと思いました。
出血するかもしれない、ベイビの力も借りられない中、
ひとりではあの陣痛の痛みに耐えられないような気がしました。

でも、普通分娩した場合の産後の体の回復の早さは知っています。
帝王切開は術後がものすごく痛いらしく、
しばらく点滴の生活になるのは、これまで何度か見ています。
コドモ達のためにも早く元気に退院しなきゃと思いました。
そして、ベイビのお葬式などは、せめてちゃんとしてあげたいと思いました。

でも普通分娩がうまくいかなければ、入院がどんどん長引いてしまうわけで。
それなら3泊4日という計画帝王切開の方が…

思考は堂々巡りするばかりでした。
もう、自分一人ではどちらがいいのか選べませんでした。
出張中の夫の帰りをまって、次は夫と一緒にもう一度、話をきくことになりました。

帰宅後、産婦人科の看護師をしていた友達から電話がありました。
色々と話をきいてもらいつつ、やはり近々の問題、出産方法について相談しました。
彼女ももちろん、どちらがいいかは答えてはくれませんでした。
当たり前だけれど、最後に決めるのは自分自身。
ただ、喜びのない陣痛が精神的にとても過酷だということ。
その後のベイビとの対面に耐えられず、精神が病んでしまうお母さんもたくさんいるということ。
でも、逆にベイビを抱っこできなかった自分を後になって悔やんでいるお母さんもいるということ。
帝王切開は確かに、精神的には楽かもしれないということ。
でも、その傷を毎日目にしてしまうことで、心の傷もなかなか癒えにくいということ。
そんな話をきいて、私の悩みはますます深まるばかりでした。

ムスコに翌日の学校の準備をさせ、その日はコドモ達と一緒にベッドに横になりました。
ムスコは目を赤くしてうっすらと涙を浮かべていました。
私はムスメのベッドに添い寝しながら、声をあげてコドモのように泣いていました。
ムスメは、そんな私の頭をずっとよしよしと撫でてくれました。
気がついたら、時計の針が11時をまわっていました。
ムスメはまだ眠っていませんでした。
気持ちのままに、好き勝手に泣いていた自分に腹がたちました。
ムスメを抱きしめて手を握ってあげると、すぐに寝息がきこえてきました。

その後ネットで、死産体験記などの文章を片っ端から読みました。
何がいけなかったのか。
なぜ、もっと早くに気づいてあげられなかったのか。
そして、どうやって出産すればいいのか。
その答えはやはり見つけられませんでした。


プーケットに出張していた夫は、夜中の2時にすぎに戻ってきてくれました。
そして、翌朝、コドモ達を小学校と幼稚園に送り出し、一緒に病院に行きました。

先生の話をもう一度聞き、切るか切らないかの選択を迫られました。
母体に負担がかからないのは切らない方であり、
先生が切らずにいけるのではという言葉をきくとともに、
夫はすぐに切らない出産を決断しました。
「絶対に死なないから!」
ポジティブ思考の夫に引きづられ、私も覚悟をきめました。

そして、私の血液検査の結果をききました。
ベイビがなくなってから長くお腹の中にとどまっていると、
血液成分が変化していて色々と問題がおきるということでしたが、
今まで、比重が軽くていつも献血できなかったのに、
三度の妊娠では、どれも貧血気味だといつも鉄剤を処方されていたのに、
初めて「問題なし!」と太鼓判をおされました。



●入院一日目

ベイビを病理解剖にだすかどうかを聞かれ、拒否しました。
ただ、羊水検査はしてもらうことにしました。

お腹にちくっと注射され、その褐色に濁った色をみて
早く産んであげなければと思いました。

その後、車いすに乗って分娩室へと向かいました。
5人目の看護師さんでようやく点滴の注射が成功し、
膣に陣痛を起こす薬をいれられ、すぐに弱い痛みが始まりました。
出血も起きました。でも、大量の出血はしていないようでした。

部屋の中が驚くほど寒く、エアコンを切ってもらうように頼みました。
妊娠中は身体があつくて、周りの人が寒いといっても私だけは何ともなかったのに、
ベイビがいなくなっただけで、昨日今日と病院内が驚くほど寒く感じました。
大きなバスタオルを2枚ほどかけてもらいました。
それでもまだ体の震えがとまらず、温められたバスタオルでさらに覆ってもらいました。
怖いのか緊張しているのか、私は臆病だな、、、そんなことを考えていましたが、
その寒さは後で、薬によるものだと分かりました。

おもい生理痛のような痛みを繰り返しながら、
この程度の痛みではまだ出産できないことを知っていたから、
早く陣痛がきてほしくもあり、久しぶりの陣痛がとても怖くもありました。
あっという間に夜になり、痛みがやわらいでいきました。
その日のトライはどうやら終わったようでした。

付き添っていた夫はコドモ達の世話をしにいったん帰りました。
私はいつの間にか眠っていたようで、目が覚めたら真夜中でした。
枕元にいつの間にか、コドモ達からの手紙がおかれていました。

ムスコからの手紙には、私が酸素マスクをして重病人そうな絵とともに
「フレーフレー」と書いてありました。(実際、そんなことはなかったけれど)
ムスメからは、いっぱいの可愛いハートの絵や折り紙とともに
「あかちゃんとおかあさん がんばって」と書いてありました。



●入院二日目

翌朝、シャワーを浴びた後、朝ご飯がでてきました。
帝王切開の場合は前日の夜から水も食事もとってはいけないということだったので、
緊急帝王切開になるかもしれない状況の中、まだまだ先は長いのかと思いました。
今度は飲み薬で陣痛を起こすことになりました。
再び鈍い痛みがはじまり、その痛みはだんだん強くなっていきました。
子宮を一気に収縮させることはできないらしく、
人によっては薬の効果も違うので、徐々にトライするということでした。

コドモ達を学校に送り出した夫が、やってきました。
今朝はムスコのお弁当をつくってくれたようで、その写メを見せてくれました。
彼のお弁当箱は、すでに大人の男性用の2段弁当を使用しているのだけれど
ムスコはよく、お昼ご飯の時間が少ないからご飯の量を少なめにしてほしいといっていました。
夫にもそれを伝えていたのに、ご飯はぎっしりと詰められていて
「どうだ! ギャフンという弁当つくってやったで!」と大層満足げでした。

午後になり、痛みが和らいできました。
痛みはつらいのに、強い痛みがないことの方が、もっとつらくなりました。
濁った羊水の中から一刻もはやく解放してあげたいと、気持ちはあせるばかりでした。

痛みが強くならないことを看護師さんに伝えると、「あせらないで」といわれました。
看護師さんも過去に死産の経験があって、3日間かかって産んだという話をききました。
私はてっきり、昨日産めたら、今日明日中には帰れると思っていたので
この状態が一体いつまで続くのか不安になりました。
帝王切開の値段をきいたところ、20万バーツ(約60万円)ということだったので
このまま薬が効かずに入院が長引き、途中で緊急帝王切開に切り替わったら
別の意味でも一大事だと、不安が一層つのりました。
夫に大丈夫なのか尋ねると
「大丈夫!…いや、そんなに大丈夫じゃないけど多分大丈夫……… 」
あまり大丈夫ではなさそうでした。

その日は晩御飯も食べていいとのことでした。
何かを口にするたび、出産のタイミングが遠のいていくような気がしました。
今日も産んであげられなかった自分が嫌になりました。



●入院三日目

分娩室にきて三日目。3人のお母さんの壮絶な叫び声をききました。
その後、3人の赤ちゃんの元気な産声をききました。

これまで、左手からは栄養剤の点滴をうってもらっていたのだけれど、
その日は右手から、陣痛を起こす点滴をうってもらうことになりました。
ベッド側にあるトイレに行くのが、一気に困難になりました。

点滴がきいてきたのか今回は、今までより強い痛みが襲ってきました。
その痛みを待っていたのに、いざ来るとなると心がくじけそうでした。
本当に強い痛みがおそってきて、看護師さんを呼んだのだけれど
内診で指をぐりぐりと突っ込まれ、「まだまだ子宮口が開いていない」といわれ、
そうだ、本当の陣痛はもっともっと痛かったと思い出しました。

痛いと訴えれば内診され、それがまた痛いものだから、
すごく痛くても我慢することにしました。静かにその痛みに耐えていました。
どれ位時間がたったのか。
しばらくすると、ベイビがおりてきたのが分かりました。
ここからイキめば、産めるのか!?
でも、もうベイビの力は借りられないから、私だけの力でイキめるのか!?

最後は責任をもってしっかり産んであげたいと思っていたのに、あまりの痛みに挫折して、
看護師さんに「無痛注射うってください!」と叫んだ直後の午後3時、
ベイビはうまれてきてくれました。

これまでの出産のように、ベイビをすぐに抱っこさせてもらえるわけではありませんでした。
抱っこしたいと訴えれば、抱っこできたのかもしれないけれど、
亡くなってしまってどれくらいたったのか分からないベイビを
私は母親なのにもかかわらず、すぐに目にする勇気がありませんでした。
でも夫は、ちゃんと見ていてくれていました。
「私、抱っこできるかな」そうたずねると
「それは俺には分からない」といわれました。

先生から、ベイビが亡くなった原因についての説明がありました。
見た目では、母体にもベイビにも特に異常はみあたらないとのことでした。
週数通り、きちんと育っているようでした。
もしかしたら、ベイビの心臓が弱かったのかもしれないし、
染色体かもしくは絨毛に問題があったのかもしれないけれど、
今の段階では何ともいえないとのことでした。
皮膚の状態から、亡くなって1週間ほどたっているとのことでした。

来院の数日前、ふと胎動を感じないと思った時があったけれど、
夫にお腹に耳をあててきいてもらって、「今、動いた気がする」といわれたことがありました。
「きっとおとなしい子なんだよね」夫とそんな会話をしました。
でも、きっと母親の直感的にはきづいていたのだと思いました。
その時にはもう、亡くなっていたのかもしれないと思いました。
現実から逃げていたと思いました。

いつの間にか、ベイビは別室にうつされていました。
私は分娩台で、残りの胎盤がでてくるのを待ちました。
なかなか出てこないので、手術することになり、オペ室へ移動。
「眠っている間に手術が終わりますからね」と、マスクをつけられ
「眠らなきゃ。眠らなきゃ。。。」そう思っているうちに
「はい。手術はおわりましたよ」と声をかけられました。
身体はどこも痛くなく、すべて、夢でもみているかのようでした。

病室にうつされると、夫がコドモ達を連れてきてくれていました。
いつの間にか2時間以上が経過していました。
ムスメが笑顔でかけよってきました。
ムスコは「弁当の量が多すぎる!」と私に訴えていました。

看護師さんに、晩御飯に食べたいものをきかれました。
私を守ってくれたベイビのおかげで、身体は特にひどい出血もなく、痛みもなく、
悲しいほどに体は軽やかで、今までの産後の中で一番元気でした。
欲望のままに「豚カツ」といったら却下され、豚肉入りのおかゆになりました。
何事もなかったようにお腹がすいている自分がイヤでした。
でも、連続のおかゆで、実際ほとんど口にはできませんでした。

ベイビはすでに冷蔵庫で冷やされていました。
私にはまだ、会いに行く勇気がありませんでした。



●入院4日目(お葬式)

お葬式のことについて、朝の8時に担当の方が説明しにきてくれることになっていました。
今日の午後2時に、お寺でお葬式をし、火葬の準備をしてくれているとのことでした。
その日はちょうど日曜日で翌日が仏滅だったので、一番いいタイミングだと思いました。
でも、時間がほとんどないことにあせりました。

夫に急いでコドモ達をつれてきてもらい、
コドモ達に1個ずつ、お棺にいれるおもちゃを持ってきてもらいました。
タイでは、お棺に哺乳瓶をいれるとのことでした。
哺乳瓶とお花と骨壺を担当の方に買ってきてもらうことにしました。

それからみんなでベイビにお手紙をかきました。
ムスメの手紙には「おもちゃがあるからがんばってね」と書いてありました。
ムスコの手紙には「しんでもかぞくはかわりません」と書いてありました。

バタバタとしているうちに、あっという間に出棺の時間になりました。
友達もかけつけてくれました。
夫と私だけで、ベイビとの最後の対面にいきました。
私にとっては、初めての対面でした。
棺の中のベイビは、全身すっぽりと布で覆われていました。
ベイビの顔をちゃんと見たい!抱っこしたい!という母親としての当たり前の感情が、
この時になってようやく沸き起こりました。布をとり、初めてベイビを見ました。
死産体験記などでよく、「ベイビは眠っているかのよう」とあったけれど、
我が子はそうは見えませんでした。明らかに亡くなっていました。
それでもとても可愛い我が子でした。軽くて華奢な女の子でした。
産んでからすぐに抱っこするのをためらってしまった自分が嫌になりました。
ひどい母親だと思いました。もっと一緒に最後の時を過ごしてあげればよかったと思いました。

棺に手紙とおもちゃとお花と、ムスメが生まれた時に着ていたお洋服をいれました。
ムスメのおさがりをもっといっぱい着せてあげたかったと思いました。

一時外出許可をもらい、みんなでお寺に向かいました。
4人のお坊さんにお経をあげてもらいました。
その後、夫が代表で、お花とお線香を手向けました。

小さな棺を窯の中にいれました。
火をつけた白い花をひとりずつ、窯の中に投げ入れました。
心の中で、ベイビに私のお腹の中にやってきてくれてありがとう、
私の身体を守ってくれてありがとうと、お礼をいいました。
そして、いっぱいいっぱい謝りました。
ずうずうしけれど、これからも私たちのことを見守っていてくれるようお願いしました。 

窯の蓋が閉まる瞬間、棺が火に包まれたのを見ました。


病院にもどると、ムスメが静かに泣き始めました。
色んなことが不安で分からないことだらけで、いっぱいいっぱいのようでした。
でも、ムスコがムスコなりの理論で答えてあげていました。
「どんなお顔してたんだろうね」「まだ0才以下だから、そんなに分からないよ」
「焼かれて熱くないかな」「感覚ないから大丈夫だよ」
「お空でひとりで寂しくないかな」「ひいばあちゃんいるし(先日、大往生)」
「私が死んだら焼かないで!」「でも腐っちゃうよ」
「お父さんとお母さん、死んじゃヤダ!」「でも年とったら死なないと人口が増え続けるし」

早く退院して、ムスメと一緒に寝てあげたいと思いました。
ムスコを安心させてあげたいと思いました。



●退院の日(骨をひろう)

早朝、再び外出許可をもらって、夫とベイビの骨をひろいにいきました。
もしかしたらないかもしれないと覚悟していたけれど、
小さな小さな骨が確かにありました。

再び、お坊さんにお祈りしてもらい、ベイビのまわりを白菊の花びらで飾り、
骨をひろって、小さな骨壺にいれました。

病院に戻ってから、退院の手続きをはじめました。
そして夫が、出産届と死亡届をかきました。
名前を書く欄があり、ムスメが名づけてくれた、
ムスメと私の名前から一文字ずつとった名前を記入しました。
ベイビが家族として認めてもらえたようで、少し嬉しくなりました。
私たちは5人家族なんだと実感しました。


帰宅し、その日はムスコの8才の誕生日だったので、SLのケーキをつくりました。
時間になると、ムスコが元気に帰ってきました。
そのケーキをみて、「お!」といって観察していました。
それから幼稚園のお迎えにいき、ムスメがバスから笑顔でおりてきました。
ケーキを見て「私も一緒にろうそく消してあげる!」といったら
お兄ちゃんから「やめて!」と怒られ、
「お兄ちゃんずるい!」「ずるくない!」と喧嘩になりました。

日常がもどってきました。
久しぶりにママ友に会ったら、少し落ち着いたと思っていたのにいっぱい泣いてしまいました。
入院期間、コドモ達を預かってくれたり、お弁当のおかずを持ってきてくれたり
私は本当にたくさんの友達や知人に支えられていると実感しました。

その後、ムスメにベイビの遺影を描いてもらい、骨壺と一緒に寝る部屋に飾りました。
水やお菓子をお供えしていると、コドモ達がベイビのために折り紙を折ってくれました。

あらためて、ムスコの誕生日をちゃんとお祝いできてよかったと思いました。
でも、前日の父の日はすっかり忘れていました。


夜、実父に今回のことを伝えると、遺影写真を撮らなかったことを責められました。
お葬式の写真や、棺と一緒の家族写真、棺にいれたお手紙やおもちゃの写真は
無駄にパシャパシャ撮ったけれど、ベイビにはカメラを向けられませんでした。
撮ったとしても、私と夫以外に見ることはないと思っていたからでした。
コドモ達には、見せられないと思っていたからでした。
そう思ってしまうこと自体が、ベイビにとって失礼だったのかもしれないと思いました。
ベイビの姿は、夫と私の不確かな記憶の中にか、存在しないのだと思いました。

胎盤がはがれたので、おっぱいがどんどんお乳をつくりはじめていました。
誰にも必要とされないおっぱいは、少し熱をもちはじめ、カチンコチンに張っていきました。
色々な後悔の中で、胸の痛みなのかおっぱいの痛みなのか、よく分からなくなりました。





●あれから1週間


「絶対に自分を責めないで」
退院した私に、看護師の友達が何度もかけてくれた言葉でした。
「絶対に責めると思うけれど、やっぱり責めないで」

その言葉は頭では納得できるけれど、心からそう感じる日が来るとは思えませんでした。

7か月近くまで続いた怒涛のツワリと、ハードなソンクラン旅行を乗り越えてくれたベイビ。
その後、もっともっと安静に過ごしていたら何かがかわっていたのか、とか
どうしてもっと異変にはやく気づいてあげられなかったのか、とか
産んですぐに抱っこしてあげられなかったこととか
遺影を撮るのをためらってしまったこととか
その想いが消えることは一生ないのだろうと思います。

でも、時間が解決してくれることは知っています。

高1の時に母を亡くした時以来の、今は涙腺がゆるゆる状態ですが、
多くの友人、知人に支えられ、気持ちも随分と落ち着いてきました。
コドモ達も毎日、友達と元気に遊んでいます。
ベイビとはゆっくりゆっくりお別れしつつ、
残りのタイ生活を家族みんなで悔いの残らないように過ごしていきたいと思いました。

今回のことを、妊娠を報告した友達につたえると、
流産や死産をのりこえてきた友達が意外にもたくさんいることに驚​きました。

あらためて、不良妊婦だったのにもかかわらず、元気に生まれてきてくれた上の子たちに
その小さな身体で私をまもってくれた愛するムスメの奇跡に感謝して。




もし、同じような境遇の方が私のブログに迷い込み、この文章を目にすることがあれば
せめて、ベイビとの最後の時間を少しでも後悔のないように過ごせたらと願います。






テーマ * マタニティライフ ジャンル * 育児

 

 

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◆2011.8.25
夫の転勤で8月よりバンコクに住むことになりました。タイに詳しい方、色々と教えて頂けると嬉しいです♪

◆また、遊びにいらしてくださいね♪
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万梨

Author:万梨
バンコクで暮らし始めました。
夫につれられ、小2の息子と5才の娘と一緒に、休みの日には列車の旅へ!記事の鮮度が、ちょっぴり(かなり!?)低めな私ですが、よければ少しだけおつきあいくださいませ♪

2012年6月に第3子を妊娠8ヶ月目に臍帯過捻転にて死産。ベイビのコトもちらほらと綴っています。

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